カテゴリ:むかしのこと( 5 )

禁断の夜

学生の頃、何歳だったかはナイショですが
サークルの仲間と時々お酒を飲む機会がありました。

あの夜、友達4人だったか5人だったか忘れたけど
広島の飲み屋街「流れ川」で盛り上がちゃって、ビールをコップに4、5杯飲んだあと
平和公園のそばを通り、平和大橋を渡って
行きつけの(たまり場?)紅茶のおいしい小さな喫茶店まで歩いて行き
そこでまた、今度はウイスキーを飲みはじめ
後はとぎれとぎれの記憶しかない程酔ってしまった事があります。
空白の時間は2時間あまりだったと思うけど
細切れに覚えてるのは、ある人の名前を泣きながら呼んでた事(笑)
それから、細くて急な階段をマスターに抱えられながら下りた事。

その喫茶店はサークルのメンバーの一人の家の近くにあったので
遠距離通学だった私達は、よく泊めてもらってました。
友達の姓は散る桜名がまたさくら、友達はありがパイな。(笑)
その夜も泊めてもらったのですが、
あらまあまあと、深夜に出迎えてくれたちるお母様のお顔、今でも覚えてます。
それからあくる日の二日酔いのひどかった事。
アルコールには限界の量があると思い知った日でした。

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で、前々回に書いた禁酒の理由。
お酒を止めましたと言うか、今は止めてますの方が合ってるんだけど
二月の初めの夜のこと
主人が2階上がった後、いつものようにパソコンの横に焼酎を持ってきて
ちびちびといくつもりが、一杯が二杯、二杯が三杯...エンドレス状態。(爆)
自分ではそれほど酔ってないつもりだったけど
布団に入ったとたん、わんわん泣いてしまった。
何が悲しくて泣いてるのか...自分でも分らない。(笑)
あげくの果てに主人を起こしてしまい、娘には酔っ払い扱いされ大失態。!

で、あくる日はさすがにお酒は身体が拒否。(--,)
毎晩の楽しみだったお酒だけど、
次の日からも飲まなきゃ飲まないで済んでます。
でも、飲もうと思ったらイケルクチ、解禁するのは時間の問題かも。m(__)m
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by koko-ran | 2010-03-15 15:33 | むかしのこと | Comments(22)

純情でした

サイモンとガーファンクル。
こちらで話題になってた「明日にかける橋」を聞きながら、うん十年前の私の姿を思い出してました。

運動音痴な私ですが、中学生の時は体操部に入ってて体育館中を飛び跳ねてました。
あのころはまだ新体操はなくて、機械体操。
床、跳び箱、平均台の3種目。

体は硬い方、リズム感もなし、跳び箱は嫌いだったし、平均台は怖いし
でも床運動は大好きで
側転でひょいっと宙返り、バク転なんかもパンパンって出来てました。
まあ一応体操部なので、当たり前といえばあたり前で。(笑)
なんと身軽だったことか。
今じゃあ「でんぐり返り」もできませんが。^^w

体操部をもってる中学校は市内に4校しかなかったのですが、
専門の先生もいなくて、試合に臨んでもいつもビリッケツだったと思います。
でも、中学校では体操部に入る、と決めていたので
放課後に体育館で飛び回るのは待ち遠しい時間でした。
その日クラスで少々嫌なことがあっても、体育館に入るとリセット。
勉強なんてクルッと一回まわったら、きれいさっぱり。(笑)

体育館では体操部のほかに卓球部、剣道部、それから柔道部なんてのも同居。
いろんな掛け声が響きあって、思春期のひとコマにはそれはもうぴったりな情景でした。

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下校時間が近くなると、スピーカーから音楽が流れてきます。
確か一学期ごとに、生徒のアンケートでその曲が決まってました。
コンドルは飛んでいく、白い恋人たち、ムーンリバー...
中でも好きだったのが、サイモンとガーファンクルの「サイレントオブサイレンス」
この曲を聴きながら、飛び跳ねてる時間、いや...自分が好きだった。(笑)

初恋もその頃の事。
体育館の中には私の初恋はなかったのですが、
片思いだった...いっこ上の男の子。
まともに話したこともなくて...
きれいな思い出は後にも先にもこれだけ。エッ? (笑)
ほんとうに...純情だった頃の私。。。 (●^o^●)



  
YouTubeの貼り付け初挑戦、出来るか出来んか、どっちか。^^b
   (うちのパソコン、バージョンが低いのか途切れる時があります
     聞き苦しかったらごめんなさい)

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by koko-ran | 2009-07-20 22:47 | むかしのこと | Comments(20)

金魚の島 

GWの中日、あいにくの曇り空でしたがちょっと行ったとこがあります。
うちから西に向かって車で2時間あまり、ここの県のいちばん東にある大島という島です。
大島は上から見るとちょうど金魚のような形をしていて
そのしっぽ辺りからは、お天気のいい日には遠くに四国を眺める事もできます。
みかんの産地でもあるけど、とにかくお魚がおいしい^^v
で、お魚の話ではないのですが^^;
そんな島に特別な思いがあります。 
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主人が数年前、単身赴任をしていた地です。
金魚のくびれ辺りにある町は、漁業とみかん畑の小さな町で
ここに赴任が決まった時、まだ下の娘が高校生だったので引き続いての単身でした。
海沿いに用意された古い一軒の借り上げ社宅にひとり分の荷物を入れた後
帰り道、また少し不自由な暮らしをさせてしまう事を思いながら
夕日に照らされた海が綺麗すぎて、ひとりセンチな気持ちにひたってました。(T-T*)
そんな私の心配はご無用で、主人はここでの生活をしっかり楽しんでたのですが(笑)

そろそろ次の転勤も近いかなと思っていた頃、夜中に一本の電話があり
島の病院からでした。
主人が運びこまれたとの連絡。取り急ぎ、本人の確認やら、怪我の様子やら
ようやく訳がわかったのは、何回目かの連絡の後でした。
自転車で転んだ...独り相撲ですww
すぐにでも駆けつけたいのは山々だったけど、動きがとれず...
始発の新幹線と在来を乗り継ぎ、やっと橋までたどり着いた時
とっても遠くへ来た気がして、不思議な感覚でした。
金魚のシッポ辺りの病院までは車で30分
頼んでおいた姉の運転する車に乗って、信号機もほとんどない海沿いの道をひたすら走り。

先生の説明では「島の病院では対応できないので、どこか大きな病院へ運びます」
その事は電話で聞いていたので、夜中に医療相談やら、ネットで調べたあげく
幸いにも上の娘が勤める大学病院にお願いする事ができました。
3日後、救急車で搬送されながら島を出るという異常な事態にも
私がしっかりしなくちゃ、との思いが強かったのか、不思議と元気だったと思います。
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顎の骨の骨折で、ばらばらになった骨をきれいにつなぎ合わるという
ジクソーパズルと、パッチワークを合わせたような手術は6時間もかかったのですが
手術前に説明のあった後遺症も残らずに終わり
一歩間違えば...という大怪我でしたが今では笑い話のネタにも。

退院間近には5分粥が食べられる位になっていましたが
喋れない、食べれないベットの上で考える事は、1日でも早く仕事の持ち場に帰りたい
それしかなかったようで...
退院したその日に午後には、職場に出たいと言うちょっと無謀な気持ちを
止めることは出来ずに、しばらく私もいっしょに島で暮らすことにしました。
退院してから自宅にもどり、トランクいっぱい荷物をつみこんだ車で走る事2時間。
島に戻る橋を渡る時、3週間の張り詰めた気持ちがいっきに溶けて
金魚のくびれにある町まで、涙があふれて止まりませんでした。
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それから間もなく異動があり、大島からは離れたのですが
美味しいお魚が食べたくなると、この橋を渡ります^^v
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by koko-ran | 2009-05-12 17:01 | むかしのこと | Comments(18)

志望動機は...

もう三月ですね。春は別れと出会いの季節ですが。
主人と結婚してから一度だけパートで仕事に出ていてた時期がありました。
その頃、主人は週末には必ず帰ってきてはいたものの単身赴任をしていたので、かなりの暇をもて余していたし、趣味にかかるもの位い自分で出せたらなとも思ったのも大有りで。
「家ばかりにいるから具合が悪くなるのよ。」 そう言われたらそうかもしれないし...
何となく具合が悪いから働くというのも、今思うとなんつーか...だったんですが。

車の運転はあやしくなったので、歩いて行けて...
土、日は休みで...
ここは田舎だし... あるわけないじゃん...と思っていたら、
新聞折込の黄色の求人広告に、ちっちゃく載ってたのを見つけました。
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そこは、歩いて5分も掛かるどうかの、毎日買い物にいってるお店。
「開店前の商品陳列。 勤務時間 朝7:30~9:30。日曜は休み。」
朝は早いけど、子どものお弁当さえクリアーできたら、なんとか行ける。
9:30までなら、10時からの習い事も、いけるし。
日曜日がお休みなら、週末しかいない主人にも迷惑かけないし。
開店までなら、接客しなくていいし。
それに、朝早いので、ちょっとだけ、自給もプラス。
なにより、年齢、45歳までをクリアーできてる。^^

20数年ぶりに書く履歴書だけで舞い上がった気持ち。
緊張ぎみの面接は、仕事の簡単な説明と、あとは世間話であっさり終わり、
志望動機は、もちろん「めまいが...」なんては言いませんでした。^^b
次の日に、来てくださいとの連絡をもらい、
受け持った部門で働くことは思いのほか楽しくて、いろんな出会いもありました。
9年前の3月の事。
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by koko-ran | 2009-03-04 14:19 | むかしのこと | Comments(13)

センター試験と聞けば

今年のセンター試験が終わりましたが、センター試練のニュースを聞けば長女の7年前を思い出します。

長女は女子高の通っていて、ボランティア活動に熱心な学校だった影響からか、看護大を目指していました。当時も就職氷河期と言われていて、高校に入学した頃から進路がなかなか決まらずにいる長女に、折に触れて、「医療系が就職には強いんじゃない」 、と私が口にしていた事も大いにあったと思います。

初めての子と言うことで、ずいぶん気負って育てたと思います。生まれてからは育児書が頼り。
「カン」が強くて、夜泣きがひどくて、一晩中だっこしてたり。
当時は、「抱き癖がつく」とか、「泣くのは肺が丈夫になる」とか「泣くのが赤ちゃんの仕事」だとか、保健婦さんもそのように言われていたので、抱くのを我慢してじーっと見つめてたり。今考えると変な母でした。
もっとも、次女が生まれると、泣いているのがうるさかったので、とりあえず抱っこでしが。
そんな風だったので、余計に神経を使ってた時期もあったし。
ああでなければ、こうでなければ..、と今にして思えばかわいそうだったかなぁ。と反省する事も多い..

そんな私の期待に応えたかったのか、近くの公立大を目指してセンター試験に元気よく行ったのですが。。 散々の出来だったようです。 手が届かないを判ったときの落ち込みはそれはかわいそうなもので、わが子ながら大丈夫か?という有様で。

浪人したいという娘は、参考書を整理して、しばらく積み上げてましたが、「やっぱ、もう勉強やだー」と、いくつか受けていた県外の私立大に入学を決めた時には、みんなで「バンザーイ!!」 でした。^^
小、中、高、と反抗期らしいものを感じることがなかったのは、長女という立場だったのか、育て方だったのか... 
受験生を抱える家庭なら、とこにでもあるだろう記憶ですが、娘に「あの時はよく頑張ったね」と、言ってやりたくなります。
親離れはとっくに済んだものの、子離れはなかなか難しいものですね。^^

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「追記」 です。
受験生をかかえてるお家も多いですよね。
我が家の周りにもたくさんおられます。 
「それぞれの進路が、納得できるものであれば、と想いをこめて..」.
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by koko-ran | 2009-01-19 14:37 | むかしのこと | Comments(16)